2009年01月23日

スペシャルティコーヒーは何故生まれたのかB

★コーヒー流通を支配する巨大国際企業★

フィリップモリス(現アナトリアグループ)、P&G(プロクターアンドギャンブル)、ネスレ。
この名前を聞いて皆さんどのように思われますでしょうか?
ネスレ社はインスタントコーヒーの世界的な企業としてコーヒー関連の企業であることはイメージがつくかもしれませんが、実はこの3社は世界のコーヒー流通の非常に大きな部分を占めるコーヒー業界の巨人なんです。
マルボロなどで有名なタバコ会社のフィリップモリスや洗剤などで有名なP&Gがコーヒー?と思われるかもしれませんが、いずれも世界中に生産・販売網を張り巡らしている国際複合企業で、その事業の重要な一部門としてコーヒー部門を持っています。そしていずれの企業も米国が主戦場であって、多国籍企業とは言え米国を中心とした多国籍企業と言い換えてもいいかもしれません。(ネスレ社はスイスに本社を置く企業ですが、主力商品のネスカフェは米軍の飲料として採用され米軍の世界派遣と共に世界中に普及していったという経緯があります。つまり、ネスレ・ネスカフェと米国・米軍とは切っても切れない関係にあります)

コーヒーの消費において米国という国の存在は圧倒的に大きな存在です。
米国におけるコーヒーの消費量は、第二次世界大戦後には世界の生産量の実に60%近くに達していました。
コーヒー生産国にとって、コーヒーの流通とは米国のことに他ならないものであったわけです。
そんな米国では昔からM&Aなどによって巨大なコーヒーの流通企業がありました。
日本でもなじみのあるMJBなどもそうですし、日本ではあまりきいたことがないかもしれませんが、
フォルジャー、マックスウェルなど全米に名を轟かせた巨大なコーヒーカンパニーが存在しました。
それらも時代の移り代わりの中で合従連合を繰り返し、現在では冒頭でご紹介したフィリップモリスやP&G、ネスレなどが束ねているという状況になっています。

日本ではアメリカのコーヒーは薄くて香りもコクも弱い不味い飲み物=「アメリカンコーヒー」というイメージが今も強いように思います。
この10数年ほどの間にスターバックスなどの新興勢力の登場やスペシャルティコーヒーの盛り上がりなどもあり、状況はかなり変わりつつありますが、実際に長らくアメリカの大半のコーヒーは「ただ黒い色をした味も香りもない濁った液体」であった時代が続きました。
それは、この資本主義の申し子のような巨大流通企業の影響が直接的に関わっていたと言えます。

1962年、紆余曲折を経て国際的なコーヒーの価格カルテルシステムICAの体制が発足すると、
ブラジルやコロンビアなどの生産国と米国などの消費国の関係はより密接になっていきます。
消費国と言っても事実上取引相手は大手コーヒー流通業者です。前回のコラムでもご紹介したように、安定的に均一の商品を供給するため、生産国では病害虫に強い新品種などへの植え替えなどが起きていきましたが、それは多くの場合取引先である米国の巨大企業の求めに応じて行なっていたという側面が強いものであったようです。
そのような新品種の大半はは病害虫に強く収穫量も多いのですが、香味はあまりよくない場合がほとんどでした。
でも当時の米国の流通業界の共通した認識は「味より価格」であったことは間違いありません。
大手企業はさらなるシェア拡大を目指し、大規模な広告戦略と価格競争に明け暮れていきます。
スーパーでは熾烈な価格競争が繰り広げられ、レストランでも1杯5セント(インフレ率を考慮しても現在の価格で約20〜30円)のコーヒーが飛び交っていたそうです。
最大の顧客であった米国が品質よりも価格を重視し、生産国もそれに同調していったのが、第二次大戦後から1990年くらいまでの一貫した流れであったと思います。

さらにそれだけでなく、ネスレ社などは積極的な新生産地の開拓を行なっていきます。
現在ベトナムはブラジルに次ぐ世界第二のコーヒー生産国となっていますが、これはネスレ社による強力なバックアップがあったといわれています。ベトナムで生産されるコーヒーのほぼ100%がインスタントコーヒーや缶コーヒー、加工品などに利用されるロブスタ種で、ネスレ社は主力商品ネスカフェの工場もベトナムに持っています。
コーヒー生産の新興国ではコーヒーの価格カルテルであったICAに所属していないため、高値で安定している世界のコーヒー流通価格に対して、それらに関係なく安い価格でコーヒーを販売することが可能でした。
ベトナムなどの新興国では人件費も安く、またネスレなどの大資本のバックアップによって最初から高度な機械化なども取り入れ非常に安価な生産価格が実現していましたから、作れば作るほどいくらでも売ることが可能だったわけです。

1980年前後から急速にベトナム、インド、ウガンダ、コートジボアールなどICAに属さない生産国での生産量が飛躍的に増えていきますが、その影には必ずといっていいほど国際流通企業の姿が見え隠れしています。
一方ではICA体制の生産国に品種改良などによって安く大量に商品供給をさせ、またその一方でその体制外の国での増産により、世界的なコーヒー流通価格の地盤沈下を生み出すようなことをやっていたわけです。

この結果、ICAの存在自体が意味をなさなくなり、ICAは1989年に事実上機能停止状態となります。
1990年台にはブラジルなどの豊作やグァテマラ、エチオピア、ケニアなどの増産も重なり、コーヒーの国際価格は過去にないほど下がり始めます。さらに、ベトナムが飛躍的に生産量を伸ばした1990年代後半からはまさに危機的水準、いわゆるコーヒー危機に陥いってしまいます。
2001年にはコーヒー流通1000年の歴史の中で最安値を付けたといわれるほどの低価格となり、世界中のコーヒー農園が放棄され、多くの農園労働者が職を失う事態となりました。

さて、そんなめちゃくちゃとも思えるような中でも、良いコーヒーを作る生産者も、それを仕入れて売る販売者も極々少数ですが残っていました。
カリフォルニアで1966年に創業したピーツ・コーヒー&ティーはその総本山と呼ばれている自家焙煎店ですが、ピーツと密接に関わり、影響を受けて生まれたのがかのスターバックス社です。
スターバックス社に関しては賛否両論ありますが、米国、そして世界にスペシャルティコーヒーの存在を知らしめ、広げていった機関車の役割を担ったことは事実だと思います。
かれら、いわゆるシアトル系カフェと呼ばれるコーヒー事業者の媒介によって、上質なコーヒーを求め長い間抑圧されていた生産者と消費者が爆発的な勢いで結びついていくようになります。
現在悪口を言われ続けたアメリカのコーヒーは、日本人のイメージするような薄いアメリカンコーヒーはほとんど見ることがなくなりました。
スペシャルティコーヒーの米国における消費量は伸び続け、消費量全体の20%以上を占めるようになっており(日本では5%にも満たないと言われています)、販売金額においては全体の半分以上となっているようです。

コーヒー業界をズタズタにしたのもアメリカ、でも再生の種を蒔いたのもアメリカ。
なんとも因果な話しですが、アメリカという国の傲慢さと懐の深さを同時に感じさせる話しだと思いませんか?

現在、世界的な潮流となっているスペシャルティコーヒーの動きを生み出す裏にはこのような世界的なコーヒー流通を牛耳ってきた巨大企業の存在が見逃せません。これら企業の傲慢ともいえる活動の中でうっ積したパワーが一気に噴き出したのがこの10年ほどの流れだったといってもいいかもしれません。
それは奇しくも、コーヒー貿易1000年の歴史の中でコーヒーが最も危機に立たされた時期に重なります。
危機というものは、何か新しいものを生み出す元にもなるのだと思わされます。
日本も現在未曾有の経済危機と叫ばれていますが、考えてみれば、こんな時こそ新たなチャレンジをするのにいい時期なのかもしれませんね。

というわけで、3回に分けて「スペシャルティコーヒーは何故生まれてきたのか?」というコラムを書かせていただきました。
経済、貿易は生き物でこれからもコーヒー流通は様々な形に変化していくのかもしれません。
でもいつの日か、「素晴らしい環境で育った素晴らしいコーヒーを楽しむ、そして消費者も生産者も中間業者も皆ハッピーになれる」そんなコーヒー業界になってほしものです。


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